2010-04-22

1Q84 book3

1Q84 BOOK 3
※感覚的にはネタばれの可能性があるのでこれから読む予定の人は読書感を損なわないために読了後にこの文を読んで頂きたい。




Book1,Book2を読んでそれほど面白いと感じなかったが、Book3になって面白くなって来たという感じがする。内容的には、自らがこれまでに作ってきた幻想的な世界感を使ってみたりして宗教とかそういった特殊なコミュニティを否定(疑問を持つという意味で)している。個人的には、コミュニティ(1Q84では宗教団体)を完全悪として扱わず、それなりに許容した上でそこからの脱出について書いていることは支持というか共感出来る。言うなれば、"世界の終わりとハードボイルドワンダーランド"のパラレルワールドのようにも理解出来る。あれを書いた頃の春樹氏とは違う答えを持って書いていると思う。
エルサレム賞での発言など最近の発言を含めても、かなりわかりやすいというかハッキリしたメッセージが込められているような気がしてならない。


また、文章の中に後身に対するメッセージのようなものも感じられる。これまでに自分に与えられた評価(批判)も用いて小説・物語を書くことへの重要性をちらつかせ、それを推奨しているように思える。春樹氏ももう自らのキャリアの最期を見据えて書いているような気がする。

気になるのが、この物語の顛末だがbook3までであるコミュニティから抜け出す勇気と他者との繋がりについて書いていると思うが、その後の世界に対して出版するかもしれないbook4で答えもしくは命題を提出出来るのか期待と疑問が残る。個人的には、book4はあるべき流れだと思うし、そこに書かれる村上春樹氏なりの提示に期待したい。終わるのであれば、book2で終わる内容だっただろう。book3を書いたということは絶筆でない限り続きはあるはず。


と、好意的に書いたが気になる点としては、なぜ天吾と青豆の純愛をプロットとして用いなければいけなかったのか。それが理解出来ない。"村上春樹"を恋愛小説家として見ればそれは疑問にならないと感じるが、自分を含めてそう思っていない人間にとっては、book3までで意味を既に持っているプロットなのか、示唆はあるのだけれど単純に理解が出来ていないだけなのか、それとも単なるプロットに過ぎないのかは不明である。だが、"スプートニクの恋人"でも使っているように、それが今までも書いてきたプロットの一つにしか過ぎないと解釈するとやや安っぽく感じてしまうのも否めない。

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