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2012-10-08

[競馬]凱旋門賞オルフェーブル2着

うーん。
抜けた時は完全に勝ったと思った。
ラストの直線までのレース展開としては完璧。
タラレバはないけど仕掛けが早かったね。
2分37秒もかかる馬場で、大外枠から競馬して残り300で仕掛けたから足が残ってなかったね。
最後見事にペリエにターゲットにされた。
さすがペリエとしか言いようがない。

しかし、これで日本調教馬の凱旋門賞2着は3度目で、3度とも2分35秒を超える不良馬場で結果を残しているというのが興味深い。一般的に日本の馬場は高速馬場で芝の2400mはGⅠクラスであれば2分24秒台で走る。そういった所から普通に考えれば日本調教馬は時計のかからない硬い馬場状態の年の方が成績が出そうな気がする。3度しかないのでたまたまなのかもしれないが、これに関してどこかで解説する記事が出てこないだろうか。

さて、オルフェーヴルは来年再チャレンジするかわからないけど、
もし再チャレンジするなら日本で宝塚まで走るのではなく、インターナショナルステークス→愛チャンピオンステークス→凱旋門賞のローテで行って欲しいなぁ。
ひとまず、オルフェーヴルの次走はJCかな。

2012-03-07

[競馬]トウケイニセイ死去

既報の通り、岩手競馬史上最高の馬トウケイニセイが死んだ。
小さい頃に行って残っている水沢競馬場の一番鮮明な記憶もこのトウケイニセイが圧勝した日だった。

久々に、戦績をみてモリユウプリンスやライブリマウントなど懐かしい馬を思い出した。
トウケイニセイを知ったのはもう連勝記録を樹立したあとで、モリユウプリンスと2頭の時代になってからだ。
95年に交流競争が出来て、水沢の南部杯でその年中央で無敵だったライブリマウントとの対決になったのはレース前からドキドキしたのを覚えている。結果、ライブリマウントに完敗するわけだが、当時9歳だったのは惜しかった。
タラレバはありえないのだが、せめてあと2年あわよくば3年遅く生まれていたらトウケイニセイが交流レースを全盛期で走っていたら、96年の第一回ドバイワールドカップでシガーと戦っていたのは、もしかしたらトウケイニセイだったかもしれないという思いはある。

引退した当時は、トウケイサンセイの登場も夢想したがそれも叶わなかった。

岩手競馬に行っていた人にはモリユウプリンスと合わせて忘れない一頭だろう。
個人的にも、水沢・盛岡・上山の地方競馬があった時代を思い出す記憶に残る一頭。

2009-08-14

pony

送信者 trilf vol.2


昨日は馬刺しを美味しく頂き、今日はポニーに遭遇。