僕は頭の回転が速いほうではないけれど、一度何かに興味を持つと、そのことに何年も取り組む。退屈はしません。大きなヤカンと同じです。沸騰するまで時間がかかるけれど、一度沸騰したらずっと熱いと言っていて、一緒に集中できることは幸せなことで集中できない人は幸せではないと思う。という旨の話をしている。
自分は何がやりたいのかとか実現したいものは何かとかいうより、何が集中出来ることなのか。ということなのかなと。当たり前だが人それぞれ集中出来る時間は異なるし、集中出来るものも異なる。そういう中で、集中出来る時間、集中出来るものを無視して週40時間という労働時間という枠のなかで何をするかという制約が前提にくる今の働き方が急にむなしくなってくる。
自由が与えられるっていうことは、同時に365日24時間をうまく切り分けられないという苦しい面もあって、今の時間単位で働いていることの方が生きていく分には楽なのかもしれない。(楽しいかは別)
今の労働に関するもろもろの環境が悪いというより自由になるために材料を持っていない自分の責任というのも真理な気がしてくる。
生産性とか時間単位なんとかスキルがなんとかいう”自分なら出来る”ベースではなくて、代わりの利かない(利き様がない)身体性を持った”自分がやった”ベースで生きていきたい。
(追記)身体性という言葉を使っていますが、さまざまな学術的な意味での”身体性”という用法で使ってるわけではなく、オリジナリティとも個性とも言えない感覚の言葉が思い浮かばなかったので、勝手に”身体性”という言葉を使っています。
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