2012-03-10

[雑誌]クーリエ・ジャポン 2010年5・6月合併号



ポール・オースターへのインタビュー記事が読みたくて、バックナンバーを中古で取り寄せた。
勝手にイメージしていたポール・オースターは、少しイメージが違っているようだ。
記事を読む限り、彼は気難しい性格で性格で少し頑固で柔らかい物言いをする人物ではないようだ。何も知らずに写真から感じるイメージの方が近いのかもしれない。
2009年に出版されているインビジブルについてインタビューでは聞いているが、早く読みたいので柴田元幸先生に頑張って頂いて邦訳が出版されるのを心待ちにすることにする。
実際の出版から、7年遅れで邦訳が出る形となっているのでInvisibleが邦訳されるのは今から3年後だろうか。2003年のオラクルナイトまで出版されているので、順々にThe Blooklyn Follies、Travels in the Scriptoriumと出てくるのだろうか。

英語を勉強するモチベーションはほぼないので、勉強していないが最近本を探していて邦訳されていない本が多いこと、邦訳されたとしてもビジネス書や話題の本以外はかなりの時差があることに歯がゆい気持ちもあるので勉強するモチベーションになるかもしれない(今のところなっていない)

オースターのインタビュー以外にも、村上春樹の記事・インタビューのまとめ、クラウドソーシングの記事が載っているが、村上春樹の記事・インタビューは違う人間が書いているのに判を押したように同じような文で改めて知ることはないし、クラウドソーシングの記事もこれといって興味を惹かれる記事ではなかった。

【目次(気になった記事のみ抜粋)】
・クラウドソーシングの拡大で”職場”が消える日がやってくる
・ポール・オースター スペインで見せた「素顔」
・クーリエでしか読めなかった 村上春樹 インタビュー

2012-03-09

[日記]文章を書くこと

文章を書いていると、どうしても使いたい単語とか言い回しが出てくる。そして、単語や言い回しにとってつけたみたいに文章をくっつけてしまうことが往々にある。
でも、そうすると違和感のある文章になってしまう。
難しい単語や、言い回しを使うのがダメなんじゃなくて文脈の中でその単語とか言い回しが出てこなきゃいけない。
なるべく平易な言い回しで書くようにして、どうしても書きたい単語が出てきたら一回その単語を置き換えてみるとかしてみるとかして調整していかなきゃいけないのかも。

そして、最終的に文章を書くときに大事なことは、この言葉に集約されている気がしている。
『人と違うことを語りたかったら人と違う言葉を使え』 
F.スコット.フィッツジェラルド
わかんないけどね。

2012-03-08

[映画]スモーク


ポニーキャニオン
発売日:2002-03-20

ポール・オースター原作の映画。期待していなかったが面白い映画だった。

そして、オースターの小説でも使われる物語の中に挟み込まれる結末に結びつく小物使いが映画でも上手い。この映画で言えば、最初の万引きした少年を追いかけるときに少年に何かを投げつける部分。とてもベタな感じだが、最後の話でその行為で味が増している感じがする。
この映画で出てくる”オーギーレンのクリスマス・ストーリー”は柴田元幸と村上春樹の「翻訳夜話」で訳されている。それを読んだときは正直なんとも思わない話だった。だが、この映画で登場してくるとなかなか良い物語だ。

そして、この映画に出てくる俳優たちは見たことのある俳優たちばかり。
ハーヴェイ・カイテルはもちろんだが、フォレスト・ウィテカー、ハロルド・ペリノーJr、ウィリアム・ハートなど。この映画が評価されているのか、その後生き残っている息の長い俳優達が多い。

このスモークの脚本の本。
本棚の中で読まれないまま眠っていたことにこの映画を見てから気づいた。。
また気が向いたら読もうと思う。

2012-03-07

[競馬]トウケイニセイ死去

既報の通り、岩手競馬史上最高の馬トウケイニセイが死んだ。
小さい頃に行って残っている水沢競馬場の一番鮮明な記憶もこのトウケイニセイが圧勝した日だった。

久々に、戦績をみてモリユウプリンスやライブリマウントなど懐かしい馬を思い出した。
トウケイニセイを知ったのはもう連勝記録を樹立したあとで、モリユウプリンスと2頭の時代になってからだ。
95年に交流競争が出来て、水沢の南部杯でその年中央で無敵だったライブリマウントとの対決になったのはレース前からドキドキしたのを覚えている。結果、ライブリマウントに完敗するわけだが、当時9歳だったのは惜しかった。
タラレバはありえないのだが、せめてあと2年あわよくば3年遅く生まれていたらトウケイニセイが交流レースを全盛期で走っていたら、96年の第一回ドバイワールドカップでシガーと戦っていたのは、もしかしたらトウケイニセイだったかもしれないという思いはある。

引退した当時は、トウケイサンセイの登場も夢想したがそれも叶わなかった。

岩手競馬に行っていた人にはモリユウプリンスと合わせて忘れない一頭だろう。
個人的にも、水沢・盛岡・上山の地方競馬があった時代を思い出す記憶に残る一頭。

2012-03-06

[apple]iOS 6搭載iPadと思われるウェブトラフィックが見つかった件

appleのiPad3であろう発表を明日(日本時間では明後日)に控えて、iPad3の機能や外観予測についてのニュースはもうまとめモードに入っており試験10分前に要点をまとめたノートを確認しているような様相ですね。

それで、以下のCNETの記事。

「iOS 6」搭載「iPad」、ウェブトラフィックログ上で発見か

iOS6で解像度2048×1536の端末からアクセスが来てる!
しかも、IPアドレスがappleの本社のあるクパチーノだ!
iPad3は2048×1536で、iOS6だ!

というわけですが。

まず、User-Agent値は以前の記事で書いたように偽装することが出来ます。
そして、この記事の文のまま読むと、アクセス元のIPアドレスがapple社のIPアドレスではなく、クパチーノ市周辺。ということです。ここが重要で、AmazonUSでお買い物をしたりするときに使うのと同じ方法でプロキシサーバをクパチーノ市周辺のプロキシサーバを指定して(実際に使えるのがあるかどうかは調べてないのでわかりません。)IPアドレスを偽装してあげれば、上記のwebトラフィックは作れるわけです。

というわけで、?マークの消えない憶測のレベルを出ない内容なのです。
そんな暇な悪戯(?)をする人がいるかどうかはわかりませんが、この記事がこれだけ盛り上がっていれば次回のapple製品のリリース前には悪戯する人が出てくるでしょうね。

ちなみに、勝手な推測ですがapple社の社内ネットワークを介して外部に出るときはこういう情報が漏洩するリスクがあるのでアクセスのトラフィック情報多分偽装していると思います。
それで、社員が外に出てランチでもしながらiPad3でネットサーフィン。という推測は有りなのかなと。
そんな、発表前の製品持ち出して遊べるのか?とかいう疑問はありますが飲み屋に新製品忘れてきて回収にあたふたする事件もあるのでちょっとappleを神格化しすぎてるのかという思いもあります。

いずれにせよ、明後日には真実がわかりますね。楽しみですね。
私は、今のところ購入予定はありません。

(追記)
もちろん、この記事を書いている人がこの辺のことはわかって書いているのは重々承知です。
(追記2)
以前の記事のリンクが漏れていたので貼って修正しました。


2012-03-05

[音楽]オースターの子供たち

ポール・オースターの「幻影の書」を読んで、映画「スモーク」を見てふと思いだした娘ソフィー・オースターの存在。まだ活動しているのかなぁ。と思ったら、去年時点ではまだ活動している。


http://www.myspace.com/34806819

ソフィーの歌は、完全な好みではないけど魅力的ではあるよね。
オースターのもう一人の子供で、ソフィアの兄貴のダニエル・オースターもDJっぽいことやってる。兄貴の方は何が本職なんだろうか。
http://www.myspace.com/danielauster

(修正)
ソフィア・オースターと記載していましたが、ソフィーが正しいようですので修正しました。

2012-03-04

[本]勝利の競馬、仕事の極意


ここ数年では一番活躍してる調教師だと思う角居調教師。
年間の勝ち星は安定して上位で、担当馬の海外挑戦も積極的にし結果を残している。
去年、震災もあったので世間的には大きな話題になっていないように思うが、ドバイワールドカップをヴィクトワールピサで制したのも角居調教師。
90年代からの藤沢、森調教師から角居調教師の時代になっていると思う。

内容は、経営者の本と同じような内容で組織の在り方や仕事の仕方と考え方といった内容。
職人で属人的な厩舎運営を組織で運営するというやり方を実践して成功していると言える。
科学的見地から調教を行う。野球でも肩は消耗品として、メジャーリーグでは何百球という投込みは行わないようになったのと同じような流れを汲んでいる。

最後に書いてあるが、常に新しくて結果の出る方法は模倣されて標準化(普通)になってしまい頭打ちになってしまう。常に変えていく。それが、やはり大事なようだ。

しかし、経営論・組織論的なところより馬に関する話がもっと読みたかったのだがタイトルの通りの本になっているので文句を筋合いも無い。

2012-03-01

[日記]集中すること、働くこと

先日読んだクーリエ・ジャポン1月号(投稿:[雑誌]クーリエ・ジャポン 2012年1月号)に掲載されていた『村上春樹に会いに東京へ旅するということ』に書いていたことを反芻していたのだが、村上春樹が、
僕は頭の回転が速いほうではないけれど、一度何かに興味を持つと、そのことに何年も取り組む。退屈はしません。大きなヤカンと同じです。沸騰するまで時間がかかるけれど、一度沸騰したらずっと熱い
と言っていて、一緒に集中できることは幸せなことで集中できない人は幸せではないと思う。という旨の話をしている。

自分は何がやりたいのかとか実現したいものは何かとかいうより、何が集中出来ることなのか。ということなのかなと。当たり前だが人それぞれ集中出来る時間は異なるし、集中出来るものも異なる。そういう中で、集中出来る時間、集中出来るものを無視して週40時間という労働時間という枠のなかで何をするかという制約が前提にくる今の働き方が急にむなしくなってくる。

自由が与えられるっていうことは、同時に365日24時間をうまく切り分けられないという苦しい面もあって、今の時間単位で働いていることの方が生きていく分には楽なのかもしれない。(楽しいかは別)
今の労働に関するもろもろの環境が悪いというより自由になるために材料を持っていない自分の責任というのも真理な気がしてくる。

生産性とか時間単位なんとかスキルがなんとかいう”自分なら出来る”ベースではなくて、代わりの利かない(利き様がない)身体性を持った”自分がやった”ベースで生きていきたい。

(追記)身体性という言葉を使っていますが、さまざまな学術的な意味での”身体性”という用法で使ってるわけではなく、オリジナリティとも個性とも言えない感覚の言葉が思い浮かばなかったので、勝手に”身体性”という言葉を使っています。